2011年1月31日月曜日

よし、じゃぁブログを書こう!と、思ってもらおう。

テレビや新聞などのマスメディアは、不特定多数の相手に有用な情報を伝えるために機能しています。
マスメディアの価値は文字通り、多様で確かな情報を、広く人に知らせることにあります。
テレビや新聞は、自分達が流す情報の取材をし、その確かさを担保するためにきちんと裏を取ってから記事や番組として流布させることが仕事です。この仕組みは、彼らの顧客である広告主の広告が、より有効で、確からしい情報として人々に感じられるために必要な行動の一部でもあります。
嘘やいい加減な情報、公序良俗に反する情報を流さないという建前があり、当然それに忠実に行動しているであろうということが自然に受け入れられているが故に、「テレビでやってるくらいだから確かだろう」「新聞に書いてあるから確かだろう」というイメージで情報が受け入れられるわけです。
テレビや新聞の取材を受けて、取り上げてもらう場合、どの様に扱われるかについて立ち入ることはなかなかできません。記事や番組のクオリティをコントロールするのは、当然ながら、取材される側ではなく記事や番組を作る側だからです。

インターネットの利用が一般的になり、情報がネットを介して流布する様になってからは、これまで情報を発信する術の無かった人々にも、その気になればクオリティの高い発信ができる様になりました。
テレビや新聞、雑誌から情報を得ていた人々が、インターネット上の情報を自力で探しはじめたことも大きな変化です。
「有用な情報がインターネット上にある」「検索すればそれなりに満足できる内容のホームページが見つかる」こういうイメージは、この10年でかなり多くの人々に、当たり前の様に受け入れられる様になってきました。
知りたい事があればインターネットで検索する人がいるということは、ネット上に情報を置いておけば、それを探している人に発見してもらえる可能性があるということです。
検索するということは、何らかの形で探しているものに関心を持っているので、そんな人に発見されるということは、全く関心のない状態の人の目に触れるよりも心に残る可能性が高くなります。
この、心に残る可能性の高さが、インターネットが集客に利用できる仕組みの核のひとつです。
これは、情報の受け手に対して、情報の質を担保し、同時に関心を引くところから始めざるを得ないマスメディアと、インターネット上の情報の大きな違いです。

2011年1月29日土曜日

ブログで何を発信するか

久しぶりにブログを書こうと決意を新たにしていたら、ブログ講座をやってくれというお声がかかりました。
ブログ講座で何をすべきかということになるわけですが、講座に参加するのは自営業の皆さんなので、ツールの使い方から始まって、どの様に集客につなげていくかということに関心を持っておられるであろうと予想されるわけです。
ホームページから始まって、掲示板やブログになったかと思えば、やれSNSだTwitterだといろいろ変化している様に見えますが、基本的には見え方やユーザーの向き合い方が違うだけで、やることは相変わらず、発見されることを待って書き続ける以外にはないのでした。
ブログを書くことが苦行にならず、なんらかの達成感を得られる域まで到達するためのスタートラインをどの様に提示できるか。
なるべく元気の出る言葉を考えます。

2011年1月24日月曜日

引き続き試験

書く環境を整えるところからスタートしている。
iPadは漢字変換が酷すぎて、文章を書くのがかなり苦痛。実のところ、MacBook Proを普通に持ち歩いているため、iPadの使い道が定まっておらず、とても漠然とした暇潰しの道具になっている。
非常に小気味良くiPadを活用している人も目の当たりにはしているものの、自分とはあまり縁のない使い方で、さて、どうしたものかと思いながら、しっくりくる使い方を探っている次第。
何か定まれば、MacBook Proを持ち歩かなくても済む場合も増えそうなものだが、なかなかそうもいかない。
これまで、iPhoneでメモを取っていたが、暫くはアイパッドで取ることにしよう。それにしても、iPhoneとは変換できるのに、iPadと変換できないのは、とても腹立たしい。こんなものでメモを?
やってみて駄目なら、次を考えよう。

-- iPadから送信

2011年1月23日日曜日

ブログエディタの試験

折角いろいろ便利なものがあるんだから、積極的に情報発信しなきゃダメですよと、お客様には言っていますが。このPantacleのブログも、個人的に書いていたブログも、ここ暫くは全く更新していませんでした。
実際は、株式会社パンタクルのブログに必要な文体を、私自身が確立できていないというのが、正直なところです。
代表取締役がブログの文体を確立できていないなんて……。というツッコミは容赦願いたいのですが、と、このですます調も、なんとなく居心地の悪いものでもあり、何はともあれ模索を開始します。