テレビや新聞などのマスメディアは、不特定多数の相手に有用な情報を伝えるために機能しています。
マスメディアの価値は文字通り、多様で確かな情報を、広く人に知らせることにあります。
テレビや新聞は、自分達が流す情報の取材をし、その確かさを担保するためにきちんと裏を取ってから記事や番組として流布させることが仕事です。この仕組みは、彼らの顧客である広告主の広告が、より有効で、確からしい情報として人々に感じられるために必要な行動の一部でもあります。
嘘やいい加減な情報、公序良俗に反する情報を流さないという建前があり、当然それに忠実に行動しているであろうということが自然に受け入れられているが故に、「テレビでやってるくらいだから確かだろう」「新聞に書いてあるから確かだろう」というイメージで情報が受け入れられるわけです。
テレビや新聞の取材を受けて、取り上げてもらう場合、どの様に扱われるかについて立ち入ることはなかなかできません。記事や番組のクオリティをコントロールするのは、当然ながら、取材される側ではなく記事や番組を作る側だからです。
インターネットの利用が一般的になり、情報がネットを介して流布する様になってからは、これまで情報を発信する術の無かった人々にも、その気になればクオリティの高い発信ができる様になりました。
テレビや新聞、雑誌から情報を得ていた人々が、インターネット上の情報を自力で探しはじめたことも大きな変化です。
「有用な情報がインターネット上にある」「検索すればそれなりに満足できる内容のホームページが見つかる」こういうイメージは、この10年でかなり多くの人々に、当たり前の様に受け入れられる様になってきました。
知りたい事があればインターネットで検索する人がいるということは、ネット上に情報を置いておけば、それを探している人に発見してもらえる可能性があるということです。
検索するということは、何らかの形で探しているものに関心を持っているので、そんな人に発見されるということは、全く関心のない状態の人の目に触れるよりも心に残る可能性が高くなります。
この、心に残る可能性の高さが、インターネットが集客に利用できる仕組みの核のひとつです。
これは、情報の受け手に対して、情報の質を担保し、同時に関心を引くところから始めざるを得ないマスメディアと、インターネット上の情報の大きな違いです。